みなさんこん○○は。

田村です。

かなりブログの更新が滞り申し訳ありません。

ここ最近かなり忙しく、かなり間が空いていることはわかってはいたのですが、
なかなか書くことができずにおりました。

また、しばらく更新できなくなるかも知れませんが
ご容赦頂ければと思います。

さて、ここのところ電話カウンセリングをやっていて感じるのが、
「他人からは幸福そうにみえるのに、本人はほとんどそれを実感できていない」
ケースが多いな、ということ。

電話カウンセリングを依頼される方の属性なんですが、
収入面でみると、二極化している気がします。

経済的に苦しい方も当然多いのですが、逆にかなり恵まれている
方からの相談も同じぐらい多いと思います。

ゆえに、極々普通の層の方からの相談は、世間一般の割合と比較すると
少ない気がします。

以前、あるニュース記事で「日本人の幸福度は先進国で最下位」というのを
みたことがあるのですが、GDPで未だ世界第3位の日本の人が
ここまで幸福実感度が低いということが、その時はあまりピーンと来ていなかったのですが、
ここ最近は、「たしかにそうかも知れない」と思えてきています。

たまに、え? というような属性の方、例えばお医者さんや企業経営者の方からの
ご相談とかあったりするのですが、そんな方々でも、よくよく話を聞いていると、
色々特殊な事情があったり、傍からみた印象と実際とのギャップがある方が多い気がします。

有料電話カウンセリングを受けたいと思われる方は、
その時点でかなり状況的に追い込まれている方ばかりですので、
悩みに対する日々のストレスで、かなり近視眼的になっています。

ご自身の状況を客観的にみる余裕が無くなっている状態で相談を
依頼される方ばかりですので、そのような方々は「幸福」とか
考える余裕がそもそも無くなっていると思います。

そもそも「幸福」って何? 

という問いに対して、解は人それぞれだと思うのですが、
私自身、最近それが何なのかということに対して、これまで
漠然とは考えていましたが、自分なりの解さえ、ハッキリしていなかったと思います。

ですが、ここ最近はぼんやりとですが、
「幸福」は”考える”ものというより、”感じる”ものなのかなーぐらいは
思えてきました。

なので、「いくら考えていても答えはみつからないもの」と思い始めています。

ゆえに『「幸福」というものは、「幸福だ!」と実感した瞬間に初めて
自分にとっての「幸福」というものに”気づく”』のかなーと。

今思えば、自分自身、あの時「幸福」だった! と実感した瞬間は何度かあった気がします。

自分の場合、「幸福」感は瞬間的に存在していて、期間的に持続するものでは
無いかも知れません。

ですので、過去にそのような実感があったことは覚えていて、何となくいつ頃の時期で
どのような場面だったかは覚えているのですが、なぜ「幸福」を実感したのか?
というのを言葉であらわすのはとても難しい気がします。

たぶん、覚えている「幸福」と実感した瞬間の状況や場面を、意識的に再現しても
実感はできない気がします。

自分が思う「幸福実感」とは

・予期できない。
・意識的にできない
・言葉では表現できない

といった感じになるでしょうか。

何か今さらこのような私的「幸福論」みたいなことを書くのは、かなり恥ずかしいですね。

独り言なので気にしないでくださいw

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