以前「プロ野球の好きな選手」というタイトルで書きましたが、
その時、中村紀洋選手についてあまり詳しく触れられなかったので、
久々に続きを書きます。
中村ノリ選手は恐らく、私の生涯で一番好きな選手なのですが、
注目し始めたのは、90年代半ばぐらいでしょうか、ちょうどイチロー選手が
大活躍し始めた頃だったと思います。
イチロー選手と同じ年代で、同じドラフト4位の高卒スラッガーということで、
既に近鉄バッファーローズでは高卒4年目にしてホームラン20本を打つほどに
までなっていましたが、イチロー選手の大活躍の影響から一般的にはそれほど
注目されていませんでした。
今ではパリーグもセリーグ以上に注目されていますが、当時のパリーグは
今よりも全然注目度が低く、未だ巨人の野球中継も視聴率が20%ぐらいあった
時代でしたので、当然といえば当然なんですが。
その後、中村ノリ選手は手首の怪我などで一時伸び悩むのですが、2000年前後ぐらいから
パリーグを代表するバッターへと成長します。
2000年にはホームランと打点の2冠王、2001年にも打点王に輝きます。
2002年のオフにメジャーリーグ挑戦を表明し、ニューヨークメッツと
契約直前まで行きましたが、結局は近鉄に残留します。
このときのいきさつが世間のイメージをかなり悪化させることになります。
その後、2003年と2004年は膝や手首の故障などで、低迷するのですが、
2005年に改めて、メジャーリーグに挑戦し、ロサンゼルスドジャースへ
マイナー契約で入団します。
メジャーでは結果を残せず、たった1年で日本に戻り、2006年にオリックスに入団します。
ところが、2006年のオフにオリックス球団と契約で揉めて、自由契約となり、
2007年の初頭は未契約の状態となります。
何とか、2007年のキャンプ期間中に中日ドラゴンズの練習生として契約に漕ぎ着け、
育成枠(年俸500万円程度)で入団します。
2007年は育成枠からのスタートとなりましたが、すぐに結果を出し始め、1軍の支配下登録を
勝ち取り、シーズンは常時レギュラーで出場することになります。
そして、中日ドラゴンズはその年、ペナンとレース2位ながらクライマックスシリーズを
勝ち抜き、日本シリーズに進出、日本シリーズでは日本ハムファイターズを4勝1敗で退けて
53年ぶりの日本一になるのですが、中村ノリ選手はその日本シリーズで打ちまくり、
日本シリーズMVPに輝いたのです。
私はこの2007年の中村ノリ選手の活躍を今でも何度も思い出すことがあるのですが、
本当に凄かったのです。
一度、プロ野球選手として年俸5億円ほどの超一流選手に上り詰めながら、年俸500万円の
練習生にまでなってしまう浮き沈みを味わっていながら、また日本シリーズのMVPに
なるまで這い上がってきた姿をみて、私の人生観まで変えてくれた人だと思っています。
その後の中村ノリ選手は、2009年にフリーエージェントで楽天に移籍したのですが、
結果を残せず2年で戦力外になるのですが、またもや、横浜ベイスターズに拾ってもらい、
活躍します。
そして、2013年に念願の2000本安打を達成します。
私は、2006年ぐらいから中村ノリ選手があと何本で2000本達成になるのかを、ずーっと
数えながらウォッチし続けていたのですが、20007年に自由契約になった頃や、2011年に
楽天を戦力外になった頃は2000本安打達成が絶望的だと思っていました。
それでも、2013年のシーズン当初、順調にレギュラーで出場し続け、もうすぐ2000本安打
達成となりそうな頃、不思議と寂しさを感じたことを覚えています。
恐らく、ずーっと夢だと思っていた中村ノリ選手の2000本安打が本当に達成してしまう
のが近づいてくると、「もうすぐ夢が終わってしまう・・・」という感覚に襲われのだと
思います。本当に不思議な感覚です。
2014年のシーズンは残念ながらほとんど1軍での出場機会がなく、
厳しい形でシーズンを終えようとしています。
もしかしたら、現役最後のシーズンになるかもしれないのですが、
最後まで注目し続けたいと思っています。
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